経済紙「日本工業新聞」(フジサンケイグループ)の「夢・創造・技術士」コーナーから取材申し込みがあり、2003年10月、日本滞在の時、広瀬洋治記者の取材に応じた。 2002年度から、日本・アジア業務2カ月、ブラジル・中南米業務2カ月を実施、2カ月に1回いったり、来たりを繰り返す、信じられないハードスケジュールを消化中の中田所長である。
これも、秋田の田舎、横手の百姓(小作農)の五男坊(男5人、女3人の末っ子)に生まれ、身体だけは丈夫に作って頂いたお陰で、飛行時間24時間の地球の裏側に飛んでも、所謂、「時差ぼけ」が全く無いのある。 ブラジルへのフライトで無いくらいだから、モスクワ、インド、東ヨーロッパ、シンガポール、業務でどの国に飛んでも元気なもの、到着当日から仕事、観光、帰国翌日から業務、たまには、パチンコ屋さん行きという調子なのである。 「明晰な頭脳」と「財産」は残してもらえなかった両親ではあるが、心から感謝しているのが、「強健な身体」を頂いた事であろうか!
かくて、ブラジルにも沢山の知人・友人が出来、2003年11月28日はAOTS-SP(海外技術者研修協会・サンパウロ同窓会)の’BOUNANKAI’に招待され、12月3日成田発を繰り上げ、11月27日サンパウロ到着に変更したのである。(インターネットYAHOO「検索」で「AOTS」を呼び出すと、詳細を知ることができます。) さらに、12月13日(土)は、JICA支援時代の弟子仲間が恒例の忘年会(日本寿司屋会場)を開くので楽しみにしている。 こういう、弟子たちが、ブラジル経済の発展に貢献していることを見るのは、将に「仕事冥利につきる」のである。
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